■淫行条例・小史
原始古代以来、江戸時代まで
年齢を基準として性行為を規制する法令や明文規則などを確認することはできない。ただし、各共同体や時代によって、恋愛や性について比較的自由な場合と、制約が強い場合(例えば婚外の性行為を禁忌とし、しかも結婚できる相手を自由に選べないなど)が、様々に存在していたとは考えられる。
明治~戦前・戦中
1870年(明治3年) 新律綱領が制定され、性的同意年齢が13歳に設定される。1873年(明治6年)の改定律例でも同様。
1880年(明治13年) 旧刑法が制定され、性的同意年齢が12歳に設定される。
1908年(明治40年) 現行刑法が制定され、性的同意年齢が13歳に設定される。
なお淫行条例のような形での規制とは異なるが、明治から戦中くらいまでの社会においては、時期や場合によっては、この13歳以上についても、社会的な制約が存在する場合もあったと考えられる。年齢に関係なく、結婚前の男女がデートすることにさえ、社会的な制約がある場合も存在したといわれる。
半面、淫行条例以降のような法的な規制とは違ったとも論じられる。
戦後(~20世紀)
1947年(昭和22年) 児童福祉法が制定され、18歳未満に「淫行させる」規定が登場する。本来は児童を使って第三者に淫行「させる」ことを禁止するものであり、後述する「長野県児童福祉法違反事件」の最高裁決定以前には、原則的にはそのように運用されていたようである。
1951年(昭和26年) 和歌山県で全国初の淫行条例(18歳未満が対象。以下も同様)が制定されたとされる。
1960年代~70年代 全国各地の道・県で、淫行条例が多く制定される。反面、東京都では後述する2005年まで制定されなかった。
1985年(昭和60年) 最高裁判所が、福岡県青少年保護育成条例違反事件において淫行条例を合憲とする判決を出す。「淫行」の意味を限定すれば合憲であるという判断だったが、3人の裁判官により、淫行条例は憲法違反であり無効であるとの反対意見が付された。
1988年(昭和63年) 東京都青少年問題協議会が、淫行条例の制定を否定する答申を出す。
1995年(平成7年)頃 中学校の教員が、勤務する中学校の現役の生徒に淫行を「させた」ことについて、相手方となる第三者がいない状態だったものの、児童福祉法違反として逮捕・起訴される(長野県児童福祉法違反事件)。
児童福祉法について、このように第三者が存在しないケースについて適用される例が、これ以前に全くなかったかは不明であるが、それ以前の書籍などでは児童福祉法の「淫行させる」規定は、第三者を相手方とした場合に限る、との論が見られる。
※この事件は、中学校の教員と現役の生徒との間でのケースであり、青少年の年齢や教員と現役の生徒という関係性を考えれば、直ちに不当な立件だとは当ホームページは考えないが、児童福祉法の拡大解釈の問題点は変わらない。
1998年(平成10年) 最高裁判所が、前述の長野県児童福祉法違反事件において、児童福祉法の「淫行させる」規定について、第三者が存在しないケースでの適用を是認する決定を出す。この後、児童福祉法について、淫行条例と類似した運用が行われることとなっている。
1998年(平成10年) 東京都が青少年に対する買春を禁止する条例を制定する(後に廃止)。こちらは、いわゆる淫行条例とは違い、金銭などの対償を供与しての性行為(いわゆる援助交際の一種)に限って禁止するものである。金銭の授受に関わらず規制する淫行条例には問題があるとの観点から、このような形での条例となった。
1999年(平成11年) 児童買春・児童ポルノ禁止法が制定される。こちらは、淫行条例と違い、金銭などの対償を供与を授受しての性行為(いわゆる援助交際の一種)に限って禁止するものである(ただし児童ポルノの規制範囲や方法などについては議論がある)。
この法律が制定される以前は、淫行条例の検挙のうちある程度の割合が、買春によるものだった。
21世紀以降
2005年(平成17年) 東京都が淫行条例を制定する。前年(2004年)12月に改定案が発表され、2005年3月に可決・成立するというスピード制定だった。
2007年(平成19年) 愛知県で、淫行条例違反として起訴された男性について、恋愛関係を認定した無罪判決が出され、確定する。
2017年(平成29年) 刑法の一部が改正され、監護者わいせつ罪などが制定される。こちらは、淫行条例と違い、監護者が影響力に乗じて性行為を行うことに限って規制するものである。
2020年(令和2年) 大阪府で淫行条例が制定される。それまでの条例は、威迫などに限って淫行を処罰するものであり、状況が後退したとも指摘される。
2023年(令和5年) 刑法が改定され、同意年齢が16歳となる(13歳~15歳については例外あり)。