■淫行条例や、児童福祉法の拡大解釈に関する論点と批判
淫行条例や児童福祉法については、下記の論点や批判をはじめ、その他にも多種多様な指摘があります。
1.本人の自由や自由意志の尊重
本人(当事者)、特に青少年の自由や自由意志、恋愛感情が尊重されるべきではないのか?
淫行条例においては、自由意志を尊重するという近代法の根幹が全く考慮されていないと言っても過言ではない。性という分野において、当事者の自由意志がここまで無視されて良いのだろうか。
そもそも淫行条例は、青少年の性的自由を規制するものである。淫行条例の多くでは、青少年自身を処罰の対象とはしていないが、これはあくまで青少年に対して「直接は」罰則を以って規制していないだけであって、青少年「との」性行為を規制することは、青少年「の」性行為を規制することとほとんど同義である。これは後述する2の、相手への捜査や処罰による問題とも関連する。さらに青少年の側も「不健全的性行為」「性の逸脱行動」として補導などの対象となっている。補導は形式的には「任意」とされているが(!)、実質的には強制である。補導されることにより身体的・時間的自由は奪われるし、学校の生徒などとしての身分や進路に悪影響が出る可能性もある。
なお、青少年についても罰則を以って処罰の対象としている条例も少数あるが、それらにおいて逮捕や家裁送致までの措置が行われているかは不明である。
2.捜査や処罰による青少年へのダメージ
捜査の過程や相手の処罰で青少年が受ける精神的なダメージについて、考慮する必要はないのか?
仮に、青少年を、1で論じたような補導の対象とせず、被害者として心理的なケアの対象としたところで、その状態は自らの恋愛や性のあり方が否定されていることには変わりがなく、恋人を逮捕されたことによる精神的なダメージをなくすことはできない。
その面でも、淫行条例には、青少年の人権を尊重するという機能が弱すぎる、または全く配慮がされていないのではないか?
3.構成要件に関する限定の可能性~方法
法令が人権を制限することに関しては「より制限的でない他の選びうる手段の基準」(Less Restrictive Alternative, LRA)の法理と呼ばれる考え方があり、これを違憲審査基準に適用する必要があるとの論がある。淫行条例についても、構成要件についてこの検討がされる必要はないのか?
例えば、青少年を威圧して関係を持った場合のみに、限るべきではないのか?
なお当ホームページは、例えば「強く抵抗しなかったなら、すべて合意である」や「デートをしたなら自動的に性行為の合意とみなす」といった考え方には反対する。このことは、一定の意思決定能力に基づき、行為そのものについて合意が行われていることを必要とするものである。より良い性的同意年齢の設定は、その必要条件の一つである。
また、「同意」について、強いられたものではなく、本人の意思によるものである必要があることは当然だが、年齢を基準とした、法令や公権力による「不同意の推定」が濫用されれば、性的自由はかえって侵害されるという点にも着目される必要がある。
4.構成要件に関する限定の可能性~年齢設定
法令に関しては、デュープロセス(適正処罰)の観点からの検討が必要であり、これは法令の内容について憲法上の適正さを求めるものである。淫行条例にはその点において重大な疑義がある。
そこで、淫行条例の構成要件である18歳という年齢の設定について検討してみる。極めて個人的な問題である性行為について、法令が年齢によって線引きすること自体はやむを得ないとしても、年齢に応じた一定の意思決定能力や、第二次性徴を考慮する必要はないのか?
ほぼ成人年齢である※18歳という年齢が本当に適しているのか? (※民法の成人年齢が18歳となるのは2022年から)
成人年齢とは別個に、例えば刑事責任年齢の14歳や中学卒業の15歳、または16歳といった年齢での線引きを検討する必要はないのか?
例えば10代後半の青少年という存在は、恋愛についても、本人の自由意志や相手を選ぶことを含む自由が、より広く保障されて然るべき年齢ではないのか?
これに関連して、最高裁判所の谷口正孝判事(当時)は、福岡県青少年保護育成条例違反事件の判決において「現代の年長青少年に対する両者の自由意思に基づく性的行為の一切を罰則を以て一律に禁止するが如きは、まさに公権力を以てこれらの者の性的自由に対し不当な干渉を加えるものであり、とうてい適正な処罰規定というわけにはいかないであろう」と述べている。なお、谷口判事は「年長青少年」として「例えば」16歳以上という年齢を挙げている。
また、恋愛の自由ということを考えるとき、そもそも恋愛するかしないか、するとした場合誰と恋愛するか、どのように恋愛するかといった種々の要件が含まれる。当然、同性間であれ、異性間であれ、そして、年齢が近いか離れているかについても、そこに含まれるべき点である。
法令上の性的同意年齢は、第二次性徴の年齢に自動的に合わせるものではない。しかし、性の問題を考える際に、第二次性徴を考慮しないことはあり得ないのではないか。
成人年齢自体については、前近代に比べて複雑化した現代の社会においては、例えば前近代の元服・裳着のような14歳程度でではなく、18歳などの比較的高い年齢に線引きすることは合理的であろう。そして、婚姻年齢であれば個人的な行為であるだけではなく社会的な面が大きい行為として、成人年齢と同じ年齢に線引きすることも理解できよう。また、売買春や性産業での労働についても、成人年齢である18歳を基準とすることには不思議はない。
しかし、淫行条例が規制の対象とするような、個人的な恋愛上の性行為に関してまでも、成人年齢に機械的に線引きすること自体、第二次性徴を超えた若者に関する性行動を法令でほぼ禁止するということであり、議論の対象となるべきことではないのか。
なお、デュープロセスに関する疑義は、他の項目で論じている点についても同様である。
さて、今年、2020年(令和2年)に、刑法における性犯罪に関連する規定に関する見直しが予定されている。「不同意」を罰するべきか否かについては、広く罰すべきとの意見と、同意と認められる状態を狭め過ぎれば自由が保障できなくなるとの意見などがあり、議論がある。
また、刑法における性的同意年齢についても議論がある。刑法上の同意年齢である13歳は、あくまで刑法上の最低限のラインであることは議論の前提だが、その改定については慎重であるべきであろう。また、13歳以上の未成年者について何らかの規制をすることもその要件によっては必要だと考えられるが、そのことは実質的な同意年齢を成人年齢にすることでは決してなく、構成要件や年齢の設定など、淫行条例の轍を踏まない工夫が必要である。
さらに、同意年齢はそもそも一定の判断能力を基準としているうえ、「同意年齢未満どうしの場合について処罰する意図のものではない」という性質からしても、同意年齢以上の場合のさらなる年齢差などによる規制は、屋上屋を架すものであり、反対する。
また、日本の法制度において、刑法のみが性についての規制・対応を行っているわけではなく、特に刑法における性的同意年齢を論じる場合には、淫行条例や児童福祉法の構成要件や年齢を含めた議論が行われることが欠かせない。
5.構成要件に関する限定の可能性~職業上の関係性や家族関係
教師と現役の生徒や、児童養護施設職員と現役の入所者、親子のような、相手に影響力を与える職業上の関係性や家族関係である場合に限るべきではないのか?
ただし、こうした「行動ではなく属性により、機械的に違法と見なす」形での規制の是非については、慎重な議論が必要である。なお、親子など、一定の家族関係にある場合について影響力に乗じて関係を持った場合は、現状でも刑法の監護者わいせつ罪が適用される。
6.罪刑法定主義
最高裁判所は1985年(昭和60年)、福岡県青少年保護育成条例違反被告事件※において、「淫行」の意味を限定し、「真摯な交際関係」にある場合を除外すれば合憲であるとの判断をしたが、その限定は条文から読み取ることが困難であるとも指摘される。さらに、限定したところで、恋愛関係にある当事者について結局は「真摯な交際関係」ではないとして有罪判決を確定させたことにも問題がある。
なお警視庁は東京都の条例に関して福岡県事件の判例を意識して、「婚約その他真摯な交際関係にある場合は除く」としている。
このように限定を条文から読み取るのが困難なこと、そして、限定したとしても他者、ましてや公権力が「真摯な交際関係(真面目な恋愛)か否か」を判断することも、罪刑法定主義に違反しないのか?
※当時26歳の男性が交際相手である当時16歳の女性と性的関係をもったことにより、淫行条例違反として逮捕・起訴され有罪となった事件。
7.法令の整合性と罪刑法定主義
淫行条例もそうだが、児童福祉法の拡大解釈については、性的同意年齢の意義と法令の整合性に関する問題が大きい。
刑法が定める性的同意年齢には、それ以上の年齢である場合についての一定の性的自由を保障する側面があると考えられるのにも関わらず、長野県児童福祉法違反事件における最高裁決定(平成10年11月2日最高裁判所第三小法廷決定)をはじめとするこの拡大解釈はそことの関連を考慮しない、文面だけを取り出した解釈を行っている。
その意味でも、淫行「させる」との条文について、第三者を想定したものであるとの読み方に限らず、「自らを相手方とする」という拡大解釈は、児童福祉法が想定していた要件を逸脱していないか?
このことによって性に関する決定権という重要な権利が規制される状態は、罪刑法定主義に加え、法令の整合性の面でも問題がないのか?
なお、この事件については、「中学校の教員と、勤務する中学校の現役の生徒との間」でのケースであり、児童(青少年)の年齢や、教員と生徒という関係性を見ても、当ホームページの立場としてただちに不当な立件だとは考えないが、児童福祉法の拡大解釈の問題点に変わりはない。
8.萎縮効果
18歳未満の、特に片方が18歳未満のカップルにとって、淫行条例の存在は、性行為をしない場合についてさえも恋愛関係を萎縮させる効果をもっているのではないか?
例えば手をつなぐ、近くに座る、デートする、さらには単に付き合っている状態についてまでも萎縮が生じうることについてはどう考えるのか?
9.規制以外の手段の検討、性教育
相手を尊重することを含む、性教育を充実させるべきではないのか?
それにより、強制的な性行為や望まない妊娠などを防ぐことが欠かせず、淫行条例や刑法の改正は、このような性教育の充実と併せて行うべきである。
あわせて、「(原則的には)合意の上の性行為を処罰する淫行条例」の問題そのものとは異なるが、合意のない性行為については法令により予防するとともに、被害が発生してしまった場合は被害者に対してのケアを充実し、加害者への処罰と教育をより適切に行う必要がある。
10.本質的な社会的議論の不足
淫行条例は、性というプライヴェートな問題に関する決定に関して、本人の意思に関係なく法令が禁止・規制するという、重要な論点を抱えているにもかかわらず、都道府県の条例であることもあって、そもそも論からの議論が長らく不足しているのでははないか?そしてその状態で児童買春・児童ポルノ禁止法が存在しなかった昭和時代から既成事実として継続し、単なる前例主義で各地に作られ運用されているだけではないか?
例えば、東京都(都庁)は長らく淫行条例の制定を否定する立場に立ってきたが、2004年(平成16年)12月に制定を検討していることが報道され、翌2005年(平成17年)3月に可決・成立することとなった。この方法は、議論や批判が盛り上がらないうちになし崩し的に制定し、既成事実化している、との批判を受けてもやむを得ないだろう。
なお、淫行条例と同じものではないが、例えばいわゆる表現規制問題は、社会的に取り上げられることも少なくないのにもかかわらず、淫行条例についてはなぜかあまり議論の的にならない。
また、たとえば芸能人が淫行条例に違反したとして検挙されたり聴取を受けたりした際は、ゴシップとしてスキャンダラスに取り上げられるだけだったり、一般人が検挙された際の報道は、いわゆるベタ記事であり、それも警察の発表をそのまま記事にしただけだったりすることも少なくない。
問題点を意識しない限り、「気づいたら、なんとなく、そういう条例があるから、誰かが逮捕されたという報道を見聞きするから、まあそういうものだろう」といった認識で、淫行条例の是非や改善の余地について考える機会がない人も少なくないのでないだろうか。
そもそも論からの社会的議論が行われる必要があるのではないか?
11.他の規制への影響・誘因
淫行条例は、淫行条例以外の他の規制の誘因の一つである。
例えば、「淫行条例違反が増加しているから、インターネットやSNSを規制しなくてはならない」(インターネット規制)、「青少年の、スマートフォンや携帯電話の所持を規制しなくてはならない」(携帯規制)、「淫行条例に違反する行為を『増長するような』、漫画や雑誌などの表現を規制をしなくてはならない」(表現規制)など、様々な規制措置やそれを必要とする論の根拠の一つになっている。さらに、そうした規制が、次の別の規制を招くこともある。それらの中には、憲法上の疑義が論じられるものも多い。
当然、メディアリテラシー教育や性教育の充実は必要だし、また当ホームページは、例えば、「インターネット上で児童買春の相手を募集する、成人の書き込み」に限って規制するような、範囲・根拠共に合理的な規制であれば、原則として賛成する。
しかし、ネット上のコミュニケーション全般に及びかねない規制や、表現規制については反対する。そして、そうした規制論が根拠としている淫行条例に関する問題点は上述のとおりである。